2025年のNHK大河ドラマは「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」というタイトルで、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)が主人公として描かれます。
では、実際のところ蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は何をした人なのでしょうか。
そこで今回は「蔦屋重三郎は何した人?子孫や妻・生い立ちを調査!TSUTAYAとの関係性は?」と題して調べていきますので、チェックしてみてください。
蔦屋重三郎は何した人?
蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、江戸時代後期に活躍した出版業者であり、特に浮世絵や戯作(げさく)と呼ばれる大衆小説の出版で知られています。
「みんなが読書を楽しめる本を出版したい」という想いから出版業、つまり江戸に本屋を開いた人です。
戯作(げさく)とは・・・
江戸時代から明治初期にかけて書かれた町人文学の総称で、黄表紙・滑稽本・人情本・草双紙・読本などがあります。
蔦屋重三郎の仕事
蔦屋重三郎の仕事は、出版者であり編集者でもある流通業者です。
同時に、流行を仕掛けて情報を発信するメディアプロデューサーのような仕事もしており、新しい才能を見つけて育てあげるといった、江戸の日本文化を変えた創造者として知られています。
蔦屋重三郎によって才能を見出された人たち
- 喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ)
- 葛飾北斎(かつしか・ほくさい)
- 山東京伝(さんとう・きょうでん)
- 滝沢馬琴(たきざわ・ばきん)
- 東洲斎写楽(とうしゅうさい・しゃらく) など
蔦屋重三郎の生い立ちから晩年
父は丸山重助、母が津与。蔦屋重三郎は1750年2月13日から1797年5月6日までの生涯を遂げています。
主な出来事は以下のとおりです。
年号 | 出来事 |
---|---|
1750年(寛延3年) | ・新吉原で生まれる(遊郭があった場所) |
1757年 | ・7歳のときに両親が離婚し喜多川家の養子になる ※喜多川家は吉原で引手茶屋を営んでおり「蔦屋」は喜多川氏の屋号 |
1773年 | ・吉原細見(よしわらさいけん:遊郭のガイドブック)の販売権獲得、書店を開く |
1775年 | ・黄表紙出版(小説の金々先生栄花夢がヒット) ・版元として吉原細見を読者目線に改革 ・序文を有名作家に書かせる ・吉原細見を年2回刊行し自社出版物を宣伝する |
1777年 | ・独立して店舗を持つ |
1780年 | ・吉原細見出版の販売権拡大 ・浄瑠璃正本の出版 など |
1781年 | ・狂歌が流行、狂歌名蔦唐丸(つたのからまる)として、喜多川歌麿ともに吉原連に属する |
1783年 | ・日本橋通油町に移転「耕書堂」(こうしょどう)開店 ・万歳狂歌集など出版 |
1785年 | ・山東京伝、恋川春町、朋誠堂喜三二などの 戯作・狂歌本・洒落本を出版 |
1786年 | ・寛政の改革によって出版規制 |
1788年 | ・錦絵出版本格化 ・政治風刺黄表紙(田沼意次失脚など)がヒット |
1790年 | ・喜多川歌麿の美人画大首絵がヒット ※「出版統制令」が発令される |
1791年 | ・山東京伝の洒落本・黄表紙が摘発され、財産の半分が没収 |
1794年 | ・東洲斎写楽の役者の大首絵を出版 ※写楽は5月から翌年の1795年1月にかけて約10か月の期間内に約145点の作品を版行 |
1797年(寛政9年) | 「江戸わずらい」と呼ばれていた脚気(かっけ)により48歳で死亡 |
蔦屋重三郎の妻や子孫
蔦屋重三郎には妻がいたという説(実際は不明)がありますが、その名前についてはわかっていません。
また子孫(家族)についても、あまり情報が残されていないため不明です。
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の妻の名は「てい」と名付けられています。
\#大河べらぼう 出演者発表/
— NHKドラマ (@nhk_dramas) June 9, 2024
2025年 大河ドラマ
【べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~】
新たな出演者発表、
蔦屋重三郎の“妻”
てい役 #橋本愛 さん!https://t.co/IjjskeYiIh#大河べらぼう 公式X@berabou_nhk
2021年に公開された映画「HOKUSAI」では、蔦屋重三郎の妻の名は「トヨ」となっていますね。
本日5/28(金)全国の映画館にて公開🎉
— 魏涼子 (@gi_ryoko) May 27, 2021
「#HOKUSAI」
私は阿部寛さん演じる蔦屋重三郎の妻・トヨ役で出演しています✨
葛飾北斎の繊細でダイナミックな人生を描く🌊
コロナ禍で映画館へ足を運んで頂くのはなかなか難しいと思いますが…
迫力ある北斎を是非劇場で観て頂けましたら嬉しいです✨#魏涼子 pic.twitter.com/S1Sr7UYG1p
TSUTAYAとの関係性
レンタル事業を軸とした「TSUTAYA(蔦屋)」やライフスタイル書店の「蔦屋書店(TSUTAYA BOOK)」などは、創業者が蔦屋重三郎の業績にあやかって命名したという説があり、子孫による経営ではありません。
実際のところは、創業者である増田宗昭の祖父が営んでいた置屋の屋号が「蔦屋」であったとされています。
置屋とは・・・
「芸者や遊女とかかえている家」のことをいい、料亭・待合・茶屋に芸者や遊女を送りだす場所のことです。
蔦屋重三郎は何した人まとめ
今回は「蔦屋重三郎は何した人?子孫や妻・生い立ちを調査!TSUTAYAとの関係性は?」と題してまとめました。
蔦屋重三郎は、江戸時代後期に活躍した出版業者として、浮世絵や戯作庶民文化を広め、喜多川歌麿や葛飾北斎といった芸術家の名作を世に送り出しました。
江戸の文化と娯楽を形作り現代に影響を与えています。蔦屋重三郎の功績は、江戸文化を理解する上で欠かせないものと言ってもいいでしょうね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
コメント